* Dear 〜親愛なるましゃへ〜


Dear 〜親愛なるましゃへ〜
「福山雅治白書」のホームページをご覧になった方はきっと
「なんでコイツ(=私)はこんなにフクヤマ好きなの?」ってお思いの方もいることでしょう。
言葉で言い表せるほど単純明快に理由があって好きなんじゃないって思ってはいるんだけど
あいまいだけどめっちゃ強い気持ちを今の私の頭の中で組み立ててみたらどうなるだろう?
そういう気持ちでちょっと書いてみようかと思って書いてしまいました(笑)
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私が単純に「福山雅治」に興味を持ったのが95年の7月。
ちょうどドラマでは「いつかまた逢える」で初の主役を演じるってことで、
友達の間で興味を持っている人が多かったです。
でも私は「福山もトントン拍子にスターになっていってるなぁ」って印象しか持っていませんでした。
それまでだって役者として注目していたわけでもなく、
あれだけ話題になった「ひとつ屋根の下」さえちゃんと見てなかったんですから。
「いつかまた逢える」は結局友達との話題合わせで見ることになり、
正直引き込まれるストーリーってわけではなかったけど
はじめはかなり惰性で見ていたように記憶してます(笑)
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その頃、通っていた大学の先輩に最近買ったMDに福山雅治の曲を入れているという人がいました。
それでなんとなく「福山雅治」という名前がすりこまれていたってこともあります。
ファンじゃないとはいいつつ、
その年の2月にヒットしていた「HELLO」は流行歌として自然と私の耳にも入っていたし、
旬なアーチストの楽曲とは如何に?っていう単なる興味本意で
どうにか私にCDをレンタルする気まで起こさせてくれました。
確か地元のレンタルCD屋で「MELODY」が入っている『Calling』と
「IT'S ONLY LOVE」が入っている『ON AND ON』でしょうってことでCDを2枚借りてきました。
さっそくその日の晩にテープにダビングしながらなにげなく歌詞カードを見ていると・・・
作詞・作曲が福山本人ではありませんか!
「作詞って、まぁ駆け出しのアーチストでもできそうな気はするけど、
作曲って自分でできる人ってあんまりいないんじゃない?
あれ?福山ってドラマとか出てて俳優もやってんじゃん。
ぽっと出で歌をやらされている人じゃなかったんだ!」
このひらめきは当時にしたらたいしたことでもなんでもなく、
ただぼんやりと考えていたことに過ぎないのだけど
今になって考えてみると、私が福山にハマっていく大きな発見であり転機でした。
遅れ馳せながら(笑)
初めてちゃんと聴いた福山雅治の歌の印象は「けっこう聴きやすいんだな」ってことでした。
特に毛嫌いする曲やリズムもなく、すんなり私の耳になじんでいったと思います。
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曲が私の耳になじむに連れて、前にFMで「IT'S ONLY LOVE」を耳にして
「けっこういいじゃん。レンタルしておかなきゃ!」
ってぼんやり思ったこととか次々と数少ない”私が福山と出会っていた瞬間”を思い出しました。
時を同じくして月曜日の9時にはちゃんとドラマを見るようになりました。
でもちょっとずつちょっとずつ福山にはまっている一方で、
それを認めたくない自分がしっかり存在していて、一生懸命ブレーキをかけていました。
私の中で「福山=アイドル」ってイメージは依然として崩れませんでした。
顔は二枚目、女の子に超人気!JUNONとかにも載ってる。
「かっこい〜キャー!!」っていうあれと同じになっていくであろう自分を許せずにいたのです。
とはいえ、基本的に福山の顔は私好みのお顔立ちでした…。
これはやっぱり否定はできませんっ。
「いつかまた逢える」の紺野伸一役は一途に桜井幸子演じる城崎つゆ美ちゃんを愛する男の人。
一見優しそうな感じもいいよなぁ・・・って思ったりして。。(^-^;
いくら天邪鬼とはいえ、福山雅治にハマるきっかけになるおぜん立ては十分出来あがっていました。
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ぽっとファンになったものの当時はインターネットもないので
福山がいつなんどきに何をやっている人なのか把握できません。
そんな私にちょうどいい具合に「TVガイド」がアーチスト全仕事という特集を組んでいました。
まずはラジオを聴いてみなきゃ!ってことで放送日の早かった
FM「YAMAZAKI BAYSIDE LOVERS RADIO BROS.'95」を聴きました。
その週のひとつのテーマについて自分の経験を交えながら自分の言葉で一生懸命話している福山さん。
実はとっても意外でした。
福山雅治のイメージって「あんまりしゃべらない黙して語らずクールな奴」という固定観念があって。
どうしてもドラマのちぃ兄ちゃんの役のイメージとか、
一般的なかっこいい人ってこんな感じっていうものの例外ではないと。
ラジオでも「ボソ、ボソ」って台本に書かれているようなことしゃべらされて、
ちょっとだけ愛想振りまいて終わりだろう?って。。
まだクリエイティブな側面を持っているとは到底信じ難かったんです。
ギャップにちょっとびっくりして間もなく翌日の「オールナイトニッポン」を聴いてみました。
トークは昨日のFMと変わりなく、加えて衝撃だったのが「オレのスタジオライブリクエスト」。
生歌を歌う福山さん。リクエストされていたのは「HARD RAIN」(アルバム『Boots』収録)でした。
ラジオの向こうにはちゃんと一生懸命唄っている福山さんの姿があって、
ついに私はその心意気を受け取ることが出来ました。
ここまでくればもう完全にハマっちゃってます。
以後オールナイトニッポンは放送終了の1998年3月まで
私は一度たりとも寝ちゃって聞き逃す事はありませんでした。
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「いつかまた逢える」が終了し、秋にはアリーナツアーが予定されていました。
でもファンになったときには時既に遅く、チケットは完売状態で手に入るとも思えず、
10月からは11月にかけてライブの情報を聞くたび地団駄を踏む日々でした。
「まぁ、いつかライブやってくれるでしょう」
初めは軽い気持ちでただただ毎週放送されるラジオを楽しみに聴いていました。
フツオタのコーナーではファンが持ちかける悩みに真剣に答える時があれば、
どうしちゃったの?ってくらいエロエロなオヤジに変身する。
悩みに対する答えは時に明快で時にぶっきらぼう。
でもその言いまわし方は悩みを悩みと感じさせないような配慮にあふれていました。
それをひたすら聞き逃すまいって心してラジオを聴く日々。
そんなこんなで2年半が経過してしまいました。
テレビにはその間ほとんど出ることはなかったけれど、
ラジオだけの「ましゃ」に毎週逢えることがどれだけ楽しみだったか。。
私の大学時代はましゃのオールナイトニッポンとともに過ぎていきました。
私の根底に流れるものもいつしか「ましゃ」に染められていきました。
ずっと「ライブを見たい、見たい・・・」という気持ちは蓄積されつつ、3年が経過していました。
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98年オールナイトニッポンの終了とともに、ついにニュー福山が帰ってきました。
テレビをお休みしていた2年半、
私たちが垣間見たのは一週間のほんの一日のそのまた2時間だけだけど、
再び私たちの前に現れた「ましゃ」はいい年の重ね方をした大人でした。
3年間他のアーチストのライブを観に行っても、
ましゃはどんなライブを見せてくれるのだろう?ってそればかり考えてきました。
その年の秋ついに全国ツアーでステージ上の「ましゃ」を観る事が出来ました。
凱旋先の長崎の会場で「巻き戻した夏」を歌い終えた後のましゃがとても印象的でした。
「今まで長崎でライブやってるって実感が持てなかったんだけど、
今日はちゃんとライブやってるっていう実感がある。」
こう言いながら満足げなましゃはホールの最後列からでもしっかりとらえ、感じることができました。
大きな仕事をやり遂げたましゃが頼もしく思えました。
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そして、気がつけばましゃの魅力に気がついて5年の歳月が流れていました。
もはや音楽を聴き、ラジオを聴き、ライブに行くことは生活の一部になっています。
この先ファンを辞めるってことはありえないって折にふれて思うんだな。。
今までの、そしてこれからの生活の糧がなくなっちゃうから。
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